1873年(明治6年)
?日本酒界、西の横綱を目指し、歩み続ける酒蔵?
「萱島酒造有限会社」
大分県国東市
酒名「西の関」は、二代目萱島米三郎氏が西日本の誇りであり、代表する酒を造り出そうという信念の基に西の横綱を意味する「西の関」と命名された。
仕込み水には、標高721mの両子山、616mの文殊山の中央山岳地帯で伏流水となった水を3本の井戸から汲み上げて使用しており、水質は、軽やかで優しく甘みのあるやや軟水。原料米は、地元大分のヒノヒカリ、佐賀レイホウ、広島八反錦、兵庫山田錦など、約一万石の製造を行い、出荷先は、約70%が大分県内で、約15%が福岡を中心とした九州各県、残りが大阪、東京など本州方面となっている。
また、酒の五味(甘・酸・辛・苦・渋)が調和した「旨い酒」を理想とし、永い悠久の時間の中で地元に密着した伝統手造り手法を発展的に継承し、甘い辛いを超越した日本酒本来の旨さを絶えず追求しつづける酒蔵である。
2006年6月 5日(月)